
国内最高峰の網田ネーブル 父娘の物語
- 2022.03.12
「木が元気だと、おいしいみかんができる」
眼下に有明海が広がる、熊本県宇土市の陳内農園のみかん山で作っているのがネーブル。国産ネーブルの最高峰といわれる「網田ネーブル」です。
陳内農園は、日本で初めてネーブルと不知火(デコポン種)のマイスターに認定された、
陳内一敏さんが始めた農園。いまでは娘の森田祐子さん夫婦が、お父さんの跡を継いでいます。

父が遺した日記をもとに
お父さんの具合が悪くなって、祐子さんは仕事の手伝いを始めました。秋になってみかんが色づいたころ、病床にあったお父さんが作業をすることは無理だったため、祐子さんが収穫・出荷までを行いました。
でも、跡を継ごうなんて考えてもいなかったそうです。
しかし、お父さんが亡くなったあと、全国に陳内農園のみかんを待っているファンがいることを知り、跡をを継ぐことを決心したそうです。
それでも、みかん作りは素人。そのとき助けてくれたのが、お父さんが数年にわたって遺していたネーブル作りの日記でした。

土作りが木に力を
「2月から6月までの肥料が大事」「収穫したあと、畑にお礼の肥料を与えること」。いつ、どんな有機肥料を与えるのか、詳細に書かれていました。
祐子さんは、この日記の教えに従ってネーブル作りを始めました。
「私達の力不足を、父が育てた畑とミカンの木が助けてくれます」と祐子さんは言います。
お父さんのネーブル作りの信念は、「土作りこそが木に力を与える」でした。環境にやさしい農業に取り組むエコファーマーにも認定され、除草剤はいっさい使いません。
そして低農薬で、有機肥料を使用します。
祐子さんにとっては、なにもかもが手探りです。サーポートするのは、自衛官を退官したご主人。夏から秋にかけての重労働の草刈りは、ご主人の仕事です。
「主人にはものすごく助けてもらっています」と笑う祐子さん。
除草剤を使わずに草刈りをすると、みかんの木が死なずに元気だそうです。

父の遺産を
祐子さん夫婦がネーブル作りを始めて8年。まだまだお父さんの足元にも及ばず、また天候に左右されながら、悪戦苦闘の日々は続いているようです。
それでも、お父さんが育てた「土を枯らさないよう、大切に守り抜いた土壌」という遺産を
受け継いでいます。
ことしも甘みと酸味のバランスが絶妙のおいしいネーブルが実りました。
「父の遺産を大事にして、楽しみながら育てたみかんを、みなさんに食べてもらいたい」と祐子さんは話していました。
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